2013年02月26日

青山房之助家族展

本日より東京銀座にて、故祖父・青山房之助とその家族展が始まりました。

祖父との和やかな会話の記憶はほとんどなく、叱られたり喧嘩ばかりの思い出ですが、それでも祖父を嫌いじゃなかった。苦手でしたが。それは、祖父が真っ直ぐな人間で、尊敬していたからだと思います。
京都の嵐山の絵が好きで、嵐山の油絵ばかりが家にあり、俺には上手いのかなんだか分かりませんでした。
今思うと、日常で優れた絵画に囲まれた生活をしていたことが、現在の自分を大きく育ててくれた一つなのではないかと思っています。

小1で亡くなった祖母は生け花と日本画。
我が家の玄関にはいつも、祖母が描いた猫を抱いた婦人の絵がありました。

今回は、祖父・祖母、そして父、叔母の展示になってます。
関東の方はぜひ足をお運びください。



青山 房之助 家族展

2013.02.25(月) ・ 03.02(土) 11:00-19:00
(初日は13:00から。最終日は17:00まで)

Salon de G (中央区銀座6-4-6 646ビル9F. Tel: 03-3571-5834)


青山 房之助(1904-1994)は、仙台市石巻出身の弁護士の青山幾之助(1873-1946。1924仙台弁護士会会長、1925帝国弁護士会理事)の次男。兄、二年上の長男の道夫に飛び級で追いつき、旧制2高より「父の幾之助の厳命?に従い」共に、東京帝国大学法学部に進学。道夫は家族法の分野で一家をなし、九州大学、東京経済大学の教授をつとめたが、房之助は現厚労省に奉職するも、生来の美術、文学への嗜好やみがたく、放浪に近い生活を送りながら、池島信平氏、大宅壮一氏はじめ多くの文人、画人との交友を深めた。1942年に大阪府堺市出身、東京女子大卒の濱田カツヱと結婚、敬之助、マリ子を得る。戦後は堺、のちに兵庫県宝塚に居を構え、田辺製薬常務、子会社ボンアート社長を務める。勤務の傍ら、画業に精進し、同好の士と「夏冬会」を結成、自らの個展もしばしば開催したが、決して、国展、二科、新制作等々の「はくがつく」有名公募展には応募をしなかった。当初中川一政画伯のグループで研鑚していたが、次第に独自の
「静謐」な画風に到達し、また、晩年はひたすら「嵐山」のモチーフに熱中した。1994年神奈川県厚木市の長女宅で老衰のため死去。生涯、入院を経験することはなかった。享年89.今回残された作品のうちの数十点を通じてその画業を興じていただければと願うものです。

青山カツヱ(1914-1982)は、大阪府堺市の石材商の濱田家の四女。当時には珍しく単身上京、東京女子大学国文学科に進学。卒業後は神戸女学院に勤務。かたわら生け花、茶道を趣味とする。房之助と結婚後は子育てにおわれるも、真生流名取「翠紫」として生け花教室を主宰。子供たちの成長後は水墨画を始め、日本南画院新人賞、特別賞をへて日本南画院会員になる。(夫の房之助と違い「権威」からの評価を素直に喜んだ)。晩年、日本画に挑んだが、道半ばにして突然の脳梗塞により他界。享年67。今回は晩年の日本画数点を展示。

青山敬之助は房之助の長男、中学、高校と油絵に打ちこむが、大学進学以降はJazzに転向。父の死後、遺品のパレットを眺めてくらし、数年前に久々に絵筆を手にする。

中西マリ子は房之助の長女。同じく画業を好み、若年時代には長谷川晶画伯に師事、数回グループ展も開いた。今回は往時の作品数点を展示している。

2013年春 青山敬之助
posted by イク at 02:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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