2013年03月24日

【観劇】眼帯のQ (注・堅苦しくて長いです)

【観劇】眼帯のQ

3月22日(金)カナリヤ条約にて観劇
鞦韆舘 presents 「眼帶のQ」
 台本:三名刺繍(レトルト内閣)  演出・作曲:佐藤香聲(銀幕遊学◎レプリカント)

ちょうど観劇の前日、あるエッセイを読んでいて
それは音楽の本だったのだが、こんなことが書いてあった。
文章自体は昭和の頃、歌謡曲という言葉が生まれ始めた頃の文章だ。

近頃の流行歌というものは、歌詞が主体となったものが主をしめてきている。
本来音楽とは合唱性を備えながらも、必ずしもその歌詞のメッセージにのみ響くものではなかった。旋律自体の美しさなどにも我々は酔ったのである。

というような内容だ。(記憶なのであいまいです)
ちょうど、演劇について自分が考えていたものとリンクして、はっとなった。
長崎の稽古場にて、演出が二人で話ししているときになんども口にした言葉。

「すべては台本の中に詰まっているんです」

そのとおり。我ら役者は台本を与えられ、そのテキストを紐解き、読み込み、その内側、背景、因果、効果、などなどを探検家・探偵・考古学者のようになって創造していく。
しかし、舞台というものが総合芸術であるならば、
演劇イコール芝居でなく、演劇という大きなもののひとつに芝居というカテゴリーが存在するのなら、
台本というものは、あくまで言語化されたひとつの要素であり、
言語という表現自体がそもそも、さまざまな表現の中のひとつの要素ではないか。
作・演出・出演 というスタッフロールに惑わされ
自分の中で脚本というものの存在を大きく捉えすぎてはいないか・・・と。

しかし、物語のコアとなるものがなくては演劇的空間は成立しないわけで、
では、演劇的空間を創るうえで、台本のしめる役割の幅はどんなものがあるのだろう・・・と考えていた。


そして観劇した「眼帯のQ」ある。
この作品は、クレジットが「作」でも「脚本」でもない「台本」である。
実際に元のテキストがどのように存在し、それがそのまま使用されたのか、分断され配置換えされて使用したのかは俺は分からない。
そして「演出・楽曲」はレプリカンとにて音楽の視覚化という表現を追究されてきた佐藤さん。

しかしその空間には、我々が当たり前に生きているような秩序だった時間軸は存在しない。
そして、テキストだけでは絶対見つけ出しえない、パフォーマンス的舞台表現がちりばめられている。
演出は、どこからこのイメージを創作してきたのか。
出演者は、テキストのみでなく、演出からイメージと指示をもらい、そこから自らの肉体を通して表現を生み出していかなくてはならない。


非常に面白かったのです。
そして、全然分からなかったのです(笑)

しかし、何かしら連続したキーワードが存在し
不思議な不思議な表現と舞台空間があり、
脳がそれを関連付けたがり、想像力が駆り立てられ・・・

絵的、構図的、音楽的にダイナミックであり、

もう一度みたい、と思ったのです。


分からなかったのに、面白い

何じゃそりゃ、ですよ。


もともと演劇に心引かれたのは、やはり全く分からない演劇でした。
そういう作品を作りたい、でもそのためには、作り手には強烈に明確なテーマがあって、それはぐちゃぐちゃに崩してもひるまないものであって、
崩し方にセンスが現れるものなんだな、と。


「眼帯のQ」
終わらない時間、
非常に懐かしいテーマを見せていただいた気がしまして、とても刺激を受けました。
カナリヤ条約という箱で行われる演劇は、やっぱり面白い、そんな話です。
posted by イク at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 郁句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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posted by イク at 13:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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