2012年09月04日

沢竜二東京公演!!!!!

9月13日〜17日 東京にて沢竜二さんの舞台に出演します
西日暮里の戸野廣浩司記念劇場です!!
沢竜二2012.9トノゲキ.jpg

秋まつり・人情芝居&豪華ショー
大暴れ!!沢竜二一家

13日(木)  夜 会津名物男「小原庄助」
14日(金)  夜 お控えなすって「瞼の母」
15日(土) 昼夜 死ぬときゃ俺も「お仲の命」
16日(日) 昼夜 三日の娑婆「流転三度笠」
17日(祝) 昼夜 天下の纏持ち「火消の長太」

芝居と歌謡舞踊ショーの2部構成
郁彦、もちろん女形も踊ります。

昼の部 14:00〜
夜の部 18:30〜
木戸銭 前売り4000円 当日5000円
会場  戸野広浩二記念劇場 東京都台東区谷中3-19-5 結城ビルしか1階
    (西日暮里駅下車 徒歩5分)

問い合わせは郁彦まで または
沢竜二事務所 03-3367-501
戸野廣浩司記念劇場 03-3823-1481
posted by イク at 11:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 告知 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夏の終わりに 4 狂言xコンメディア

水盤舞台の打ち上げ会場からそのまま稽古初日へ
狂言xコンメディア・デッラルテだ

狂言の脚本を現代演劇の観点で読み直し、コンメディア・デッラルテで演出をする
「〜狂言の起源を探って〜」というプロジェクト

稽古は即興でシーンをつくっていく
水盤舞台で辿り着き、手にしたもの、ないと分かったもの、それぞれがまたバラバラに分解される

そして気づく
小笠原匡先生が、狂言の形を手放すことで狂言の本来の力を得ようとしたように
俺も、この俺祭りの形を手放さないと何も手にすることができないのだと。

先生からも
俺が器用に立ち回れないよう、難易度の高い狂言回しの配役を振ってくださった。
もちろんアクロバットも行わない。

吐きそうだった。
形に逃げようとする自分がいる。
しかし所詮逃げのケレンは本来の力を備えるはずもなく、薄っぺらなうわべの脅かし、シーンの質を下げるだけ
本当は持っているはずの、もっと根源の物を信じる、しかなく
不確かな、もがき方も分からない、成果が上がらない苦しい日々が続いた

これが大切だったのだ

水盤舞台も、演じるべきテーマが見つからず、そして見つけた先にはそれを洗練するためにひたすら本を読み、雨に当たり、音楽を聞き、初めて形になった脚本は、上演されたものの3倍はあった。
それを削って、磨いて、継ぎ足し、変化させ、そうしてやっと辿り着く。

即興だからといって、ただその場で生まれるものではないのだ。
考え、試行錯誤し、言葉を知らなければ言葉をつくる努力をし、表現するために肉体を鍛え、しかし即興するときには準備したそのすべてを深層心理と自分の生理を信じて全て投げ出す


今回の公演の感想では、
「青山郁彦ー!!!っていう感じが全くしなかったけれど、それがかえって新鮮でとてもよかった」
というような言葉が非常に多かった。
とても嬉しい。
終演後の客出しのときには、いつもの「俺祭り」の感覚が一切ないので、もうよかったのかダメだったのかもわからない、
感情と状況と舞台上の道の航海から現実に乗り上げたばかりで、もう感情がボロボロになっていた。
打ち上げ会場へ向かう途中あたりまで、ずっと情緒不安定であった。

自分を投げだした先に、初めて自分が姿を見せる
のかな?

下手な部分は本当に下手
打ち上げ時に先生に「あそことかは本当に下手くそだなぁと思って見ていたよ」と笑いながら言われたが
オク・トビオとベアトリーチェのラブシーン
1回目よりも2回目が飛躍的によくなっていたと、2回見たというほぼ皆さんから言われた
1回目の方が、俺自身は手ごたえがあったのだ(笑)つまり、手出しの「俺祭り」だったのだ
2回目は、絶対に1回目をなぞってはいけない。すべて忘れるんだと、舞台裏で本当に緊張していた。
実際、よく覚えていない箇所がたくさんある。
多分、そういう箇所がよかったのだろう。

自分自身の「よくできた」という評価の感覚も変えていかなくてはいけないのだと思う。

今回の公演は、とにかく疲れた。
筋肉的な肉体じゃない、感情発散的な疲労じゃない
脳みそと神経が消耗したのだ。

この新しい世界の扉、閉ざしてはいけない。
次は、形を紋切り満載の竜劇隊の芝居だ
竜劇隊がいつまでたっても沢竜二になれないのは、うわべ芝居ばかりしてるからだ
紋切り、語呂のいい台詞、見栄とい形尽くしに即興要素という正反対に難しい環境で
この夏であった世界が試される

この精神と脳みその疲れを、俺は忘れるな
posted by イク at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夏の終わりに3

水盤舞台

ZAZAが終わり、水盤舞台の作品製作にとりかかる。
一昨年の飯干未奈さんのダンス公演に出演させていただいて以来、パフォーマンスアートの舞台への出演という新し道が拓けた。
しかしそこは常に不安と、そしてアドレナリン溢れる創作の戦いであった。
もちろん、大衆演劇という場を沢竜二先生からいただいたおかげで、旅の間は毎日お客様の前で舞踊という身体表現の舞台に立たせていただけたことが大きい。何よりの修行、訓練、研磨だ。

そしてこの水盤舞台となる。
水を張った舞台で20分の作品を自由に
共演には、今関西で一番自分が評価している遠藤智子と栃村結希子
その舞台で自分は何をもって戦えるのか

自分には、よりかかれる方法論や、モノがない。
自己流であり、また、与えられた題材を演じていくスキルであって、
膨大な荒野に放り出された時
改めて自分にあるものと、自分にないものとを知らされた。

今の自分には、20分舞い続ける勝負はできない。
これはもちろん自己演出能力を含めてのことだ。
とはいえ、誰かの脚本を引っ張り出すということも選択できなかった。

荒野に投げ出され、そこでナニカを演じる青山郁彦
そこでソレを演じる理由がどうしても俺には必要だった。

今まで生まれてきた一人芝居は皆、そこに集まる人と、場所であったり、日時であったり、伝えるべき対象や取り上げるべきテーマがあって、だからそこから生み出すことができた。
今回は、自分は、誰に向けて発信すればいいのか
誰に発信するかも分からないから、何を発信していいかも分からなくなった。

じゃあなんだ、逆に誰かに発信したいメッセージを俺という人間は持っていないのか
そんなにもスカスカなのか、37歳の青山郁彦は!!

頼るべきポイントは「水」そして「芸術中心◎カナリヤ条約」という空間

アートっぽいという落とし穴
本当に伝えたいメッセージがあるからこそ、それが写実の形をとらなくても伝わるエネルギーとなるわけで
うわべだけっぽいことえおしても何も伝わらない。面白くない。

そして、メッセージだけでは面白くない
そう、俺は面白いものがやりたいんだ、という気付き。

でも違う
今の俺は面白いもの、までしか自信が持てないのだ。
本当は圧倒するものを創りたいのだ。

高校の頃、銀幕遊学◎レプリカントから受けた衝撃のような

栃村ゆっこさんの作品は、その圧倒するパワーがあった。
題材がマクベス・サド侯爵・身毒丸というディープさに、それだけで賛と否、いや理解と拒絶の差が凄かったが、とにかくすごかった。はまった人たちの興奮がそれを物語った。

だめだ、一人の力じゃ、ここまでなんだ。
自分のやりたいことや、盛り込みたいこと、世界感、色々あるが
俺祭りは、今の俺じゃここまでなんだ。
より大きな俺祭りのためには、俺祭りから一度離れなくてはダメなのだ。

その意味で、今年の作品「水にまつわるオムニバス」を創作させていただけたのは、本当によかった。
posted by イク at 03:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夏の終わりに 2 ZAZA

石川から帰り、翌日は小屋入り、ゲネプロ、その翌日から本番。
温かく受け入れてくださった共演の皆様に、心から感謝しています。

己の観一つで各地へ飛び回り、営業も自分、時には土地の仲裁役にもなったり、町おこしの談義をしたりする旅の大道芸人達と比べると、タレント、役者さんはパッと印象では迫力ダウンを感じてしまう。
しかし、この公演に関わらせていただいたおかげで、その判断の仕方自体がそもそもモノサシ違いなのだと感じた。

何百年と人の時代を経て、人の社会も、もちろん芸能も様々な発展、変化を遂げたのだ。
個人ですべてを表現するものと、分業して総合で創作するものとでは、違う面は決定的に違うのだ。

演出の曽我廻家貫太郎さん
この方のバランス感覚、人との接し方、空間つくり
座長の新島愛一郎さんの人間としての魅力、そこに集まる幅広い人たち

親しくさせていただいた、ミヤ蝶子姉さん、大原ゆう姉さん、宝生さゆり姉さん、有希晃姉さん

一線で活躍されてきたからこそのまとう空気、当たり前というラインの位置

得意分野を存分に発揮させていただきながら、登場時にはしっかり演出をつけていただいた。
出演者全体の中ではキャリアも実績も上の方が多数の中、立ち会わりでは芯のシーンをいただき、舞踊も一曲いただき、稽古参加日数が少ないながらも舞台でしっかり存在感を示せる場を与えてくださった。
一芸を身に付けに一度演劇の舞台から離れようと思った19歳の決断は、間違っていなかったと思った。

一方、これはパフォーマーとしての見せ場をいただいたわけである。
演技者、役者として仕事をしていくなら、そういう場面があるかないかは自分の意図でなく配役や作品による。
演技者、役者の仕事はケレン味のショー的要素のみを伸ばすのではく、作品の世界感をしっかり生きることであり、そこに厚みをだすことである。
バク転せずにバク転することにあるのだ。
posted by イク at 02:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夏の終わりに 1

長い夏が終わりました。
立ち止まる時間、振り返る時間が大切だと思い、ここに振り返ります。

誕生日あけてすぐ。
石川県 大道芸がやって来る!!

2008年、人生も自暴自棄になっていた時に役者という道を繋いでくれ、
自分の人生も繋ぎ止めてくれた3つも仕事
「ソードブル」「沢竜二」そして「石川県」

しかし、活動を続けていくうちに自分の進もうとする方向と、仕事としての大道芸の存在の開き
大道で演劇をするということ、その場、その瞬間に集まった人達に対する芸能ということは、生涯の根本として持ち続けていきたいと思うとともに
今は、舞台に、俳優業に力を注ぎたい
その葛藤が年々強くなっていた。

そしてありがたいことだが、いち参加パフォーマーでなく、今年は中2日間は座長を努めさせていただいた。
だめだ。もう2足のわらじでできる範囲を超えてしまっている。
そして最終日の打ち上げ、決断をさせていただいた。


今年のテーマは、自分が役者だからとか、大道芸だからとか関わりなく、
その時、その場所、その人間でできることを純粋に見つけ、伝え、実行すること。
根本的なことだ。
年上パフォーマーさん達にはありがたく胸を借り、若いパフォーマーは時にあおり、時に制し、土地の方々の期待に応えつつ、やはりあおり、その分のけつは自分がとるんだという覚悟を決め、、、
身に余る経験を積ませていただきました。

座長として、また読んでいただいた一人の芸人として
必要とされている箇所の商品としての自分も客観的にとらえ、不要な部分は引き、しかし出なくてはならないときは出る。
10年に渡り、いちろうさんが見せてくれていた姿を思い返しながら。

座長を努めた獅子吼の二日間
一日目は自分がトリであった。
大道講談一人芝居をバシッとやろう、と決めていた。
ここ一番、自分自身の血と肉で勝負をするのだ、と。
しかし、時間が押していった。
目算のミスはスイカ割。
しかし、この日のために参加してもらった演者さん達には、できるだけベストなパフォーマンスをしてもらいたい。
自分の時間を捨てての調整へ
しかし、トリはトリ。
絶対に落とせない。

5分でまとめて大団円へ持っていきたい
自分は大道講談をチェンジし、アクロバットも大団円に残し、女形を一曲だけ踊ることにした。

祭全体のプログラム
大団円の意味
すぐに陥る形、スタイル、約束事

本来約束事なんて何もない
いいスタイルが誕生したら、それを洗練していくか、それを打破していかなくてはならない。
その場所にとらわれていては、落ちていくばかりなのだ。

そうだ。この時からすでに、安住からの決別を始めていたんだ。。

2008年秋、続けるのならきちんとしようと決心しながらも、未来も見れなかった。
事あるたびにあの春一度辞めた人間だからと、夢をみたり思い上がったりしちゃいけないんだと
歪んだ言い訳を自分に押し付けて
たまたま続いているから演者でいつづけられている、、消えるならそれもそれでそんなもの、、とか

しかし、あれから4年
その昔など知らない人たちと出会い
付き合うということは、影響を受けるだけでなく、影響を与えているという事実

違う、結局は自分がどうしたいのか、だ。
その答えから目を背き続けた、何年も。
今破滅するかもしれない、しかし、そこから逃げていては消滅しかない。
もう、責任は生まれているのだ。
やるもやめるも多くの人を巻き込んでいるのだ。

あまるがボロボロと大粒の涙を流しながら送り出してくれた。
いちろうさんが、何かを断ち切るように笑顔でハグいてくれた。
そして朝まで飲んだ一同で胴上げをしてくれた。
俺は、旅だったのだ。
posted by イク at 02:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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